医療の“その先”見据え、大学病院から民間病院へ ─桐和会グループ 東京さくら病院 久保慎一朗医事課長

医療の“その先”見据え、大学病院から民間病院へ

大手転職支援サービス会社でコンサルタント・法人営業、500床規模の急性期病院の医事課・医療連携室を経て、現在桐和会グループ東京さくら病院(258床)の医事課長を務める久保慎一朗氏。「医事課長」という肩書きながら、院長・事務長を補佐し、病院運営全般に携わりグループ内での連携体制整備、職員の健康診断の体制整備まで、現在の業務は多岐に渡ります。「このままでいいのか」という不安から転職を決意したという同氏に、これまでのキャリアステップを伺いました。

【プロフィール】
 医療法人社団 桐和会グループ
 東京さくら病院 医事課長
 久保 慎一朗氏

入職者インタビュー

転職支援コンサルタントから病院事務職へ

──久保さんは大手の転職支援サービス会社でコンサルタントをされていたと伺いました。なぜ病院事務職という畑違いの領域へキャリアチェンジされたのでしょうか。

大きな理由としては2つあります。1つ目は、社会人3年目でリーマンショックを経験したこと。仕事柄、さまざまな企業の求人を目にしていましたが、日本経済が大きく低迷する中、医療業界はある意味インフラということもあり、景気の波を受けにくいという印象を受けました。
2つ目は、非常に多忙だったこと。ちょうど結婚し子どもも生まれたタイミングで、「このままの働き方を続けていいのか」と自身の生活を見直したんです。この2つが重なって、医療業界への転職を決意しました。いくつかの医療機関から内定をいただきましたが、医療だけでなく教育・研究と幅広い役割に魅力を感じ、ある大学病院へ入職しました。

──入職直後はご苦労もあったのではないでしょうか。

そうですね。用語ひとつ取ってもわからないことだらけですし、大学病院という組織の構造や文化、意思決定のスピードも前職とは大きく異なっていたので、カルチャーショックの連続でした。最初に配属されたのが医師の人事を担当する部門だったのですが、現場のことを何も知らなかったので、人員配置など考えようもなく……。

モヤモヤを抱えながら手探りの日々でしたが、「現場を経験したい」という希望を汲んでいただき、入職から4年目に病院の医療連携室部門へ異動することになりました。

「このままでいいのか」募る不安から再び転職活動へ

──医療連携室ではどのような業務に携わっていたのですか。

地域のクリニックや病院との連携業務が主ですね。独学でキャッチアップするのは大変でしたが、現場が見えると課題や打ち手も具体的にイメージできるようになりました。

入職者インタビュー

超高齢社会を迎え、医療は決して独自に完結できる業界ではなくて、福祉や介護といった領域についても知らなければ、地域にとっての全体最適を導き出すことはできません。地域に出てケアマネさんや介護施設の方々といった多職種の方々と関わる中で、職種や領域を超え、横断的に地域内のステークホルダーをマネジメントする能力が求められていると感じました。

一方で、このまま医療という立場からのみ地域に関わっていては、そうした能力・知見を身につけることが難しいのでは?という疑問も湧いてきました。印象的だったのが、地域連携の勉強会で言われた「久保さんが見ているのは地域の一部分でしかない」という言葉です。自分では全体を見て皆で一丸となってがんばっているつもりだったので、けっこう衝撃的でしたね。

そのまま病院の管理部門などローテーションして経験を積み、いずれは管理職に…というキャリアパスを描くこともできたかもしれませんが、長期的な視点で自分のキャリアを考えると「このままでいいのだろうか」という不安が勝り、病院に勤務して5年目に転職を決意しました。このときは、非公開求人など一般にはオープンになっていない情報も得たかったので、エムスリーキャリアの事務職紹介サービスに登録しました。

病院事務職が評価されるポイントとは

──ご自身の中で、「転職する上でこれは譲れない」というポイントはあったのでしょうか。

2つあります。1つ目は、未完成の組織であること。自分が求めるスキル・経験は、組織の形が完璧にできあがっている法人では得にくいだろうと考えていたからです。

2つ目は、医療の“その先”にも関われる環境かどうか。前職での経験から、医療だけでは得られるインプットに限りがあると感じていたため、介護・福祉など多領域に関われる法人であるかどうかを重視しました。

とはいえ、施設形態などは明確に決めていたわけではないので、コンサルタントの方に在宅クリニックなど幅広い求人をご紹介いただく中で、選択肢が広がっていったように思います。

──最終的に桐和会グループを選んだ決め手は何だったのですか。

当グループの管理部長の小原から、面接時に「うちはまだ発展途上だから」という言葉があって、色々やらせてもらえそうだな、と感じたことが大きいですね。当初ご提案いただいたのが医師の採用・人事枠ですが、前職で感じたことや身につけたいスキルなどをお伝えしたところ、「それならより幅広く病院運営に携われるポジションで」とご提案いただき、心が決まりました。

転職活動の中で、どのような能力が事務職として評価されると感じましたか。

私が応募したのは2法人なので全体の傾向はわかりませんが、「自分の幅を決めず、やりながら考えられる人」でしょうか。いまの時代、未知の領域でも仮説を立てて検証していくしかない、まずはアクションを起こさないと前に進めない、という局面は少なからず出てきます。「失敗するかも」とリスクを恐れていては生き残れないので、泥臭く物事を前に進めていく推進力は重視されていると感じました。アクションした結果、たとえ失敗しても、皆の知恵を借りながら成長できる風土が当グループにはあります。自分自身の可能性を広げるという視点からも、自分の幅を決めてしまうのはもったいないと感じています。

入職者インタビュー

医事課長の枠におさまらず挑戦できる環境がやりがいに

──入職から1年半が経ちますが、現在の業務内容について教えてください。

医事業務にとどまらずさまざまな仕事に携わらせていただいています。医師の勤務調整や病院広報、稼働額や損益分析、災害時の対応準備、院内の研修管理等も行っています。また、先日は適時調査(※)の対応を担当しました。医師や看護師、薬剤師、リハビリ職など多職種を巻き込みながら進める必要があるので大変でしたが、さまざまな声をもらう中で院内の課題を改めて知る機会となり、私自身にとっても刺激になりました。その他にも、グループ職員の健康診断の運用を法人本部と連携してアレンジメントしたり、当グループが運営する4病院の医事課スタッフを集めて勉強会を実施したりと、グループ内の取り組みも一部担っています。

※診療報酬支払に関わる種々の施設基準の届出に対し、厚生労働省関東信越厚生局が要件に則って適切に実施されているか否かをチェックする調査

──今後、さらにチャレンジしたいことはありますか。

1つ目は、病院間の連携強化です。グループ全体という視点で考えると1つの病院でできているだけでは意味がなくて、どの病院でも一定の質を担保する必要があります。前述した4病院合同の勉強会などを通して、引き続き連携を深めていきたいです。

2つ目は組織の基盤を固めること。当院は開設6年目で、まだシステムとして整っていない部分も残っています。たとえば属人的になっている業務フローを整備するなど、土台固めに注力したいです。

3つ目は“病院主導の在宅医療”の模索です。在宅医療というとクリニック主体というイメージがある中で、病院として他施設とどう連携をとりながら地域にとって最適な在宅医療の形をつくれるか、を考えていきたいですね。

──最後に、読者へのメッセージをお願いします。

現在の環境で続けるべきか、迷っている病院事務職の方にはとりあえず動いてみることをおすすめします。転職活動をすることで失うものはありませんし、別の視点や可能性を得る機会になると思います。私自身、さまざまな施設形態の求人を提案してもらう中で視野も広がりました。実際に動く中で見えてくるものもありますから、まずは一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。

また、異業界からの転身を考えている方にお伝えしたいのは、カルチャーショックは受けて当然、ということです。医療業界は診療報酬など一般企業とは異なるルールで成り立っています。最初のうちは「なぜこれを紙でやる必要があるの?」などと違和感や困惑を覚える場面が少なからずあるでしょう。事前に心構えしておくことで、「想定の範囲内だな」と余裕を持てると思います。

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