50歳で初転職 失敗を乗り越えた逆転キャリア ──美原記念病院 中村浩一医事課長

50歳で初転職 失敗を乗り越えた逆転キャリア

新卒で地元の総合病院に入職後、健診・総務・医事・本部など多部署で経験・キャリアを積み上げてきた中村浩一氏。50歳で新たな環境へと飛び出すことを決意したものの、自力で情報収集して臨んだ転職は納得のいかない結果に終わりました。その後の紆余曲折をどのように乗り越えたのでしょうか。「不安もあったけれど、いまの職場に出会えて本当によかった」と語る同氏に、キャリアチェンジの経緯やポイントを伺いました。

【プロフィール】
 公益財団法人 脳血管研究所
 美原記念病院 医事課長
 中村 浩一氏

健診から幹部の秘書まで、あらゆる業務を経験

──中村さんは新卒で地元の総合病院に入職され、27年間在籍されていたと伺いました。ご入職のきっかけや業務内容について教えてください。

入職後は健康管理部に配属されました。当時の運営母体がJA厚生連だったためJAの組合員や、一般企業の方への健診業務に従事しました。また、事後指導に同席するなどして、保健師さんとともに健康講話も行っていました。病院では病気の方と接することが多いのですが、健診業務は健康な方々に対し病気にならないように介入する仕事です。予防医療の一部を担えるという点に非常にやりがいを感じました。対人的な業務が多いので、接遇を学ぶ機会にもなったと思います。

入職者インタビュー

その病院はいろいろな課をローテーションして広く経験を積ませる人事方針だったので、8年目で総務課へ異動しました。採用まわりの庶務、財務会計を2年ずつ担当した後、今度は医事課に移りました。30代半ばで初めて医事業務に触れたので、最初は大変でしたね。新人であればレセプト業務は外来から始めるのが一般的だと思うのですが、外来はもう若い世代がやってくれているということで、いきなり入院の担当になりました。

──どのようにキャッチアップされたのでしょうか。

私より医事課歴の長い後輩もたくさんいたので、疑問に思ったらすぐ周りに聞くようにしていましたね。あとは点数本を読み込んだり、外部の研修を活用したりしました。最初は内科病棟を担当し、2年後に係長に就任してから整形外科病棟や交通事故の担当、あわせてクレーム対応や施設基準関係の対応なども担うようになりましたね。経験とともに業務の範囲が広がり、外部とのやりとりも増えていきました。

──その後はずっと医事課でキャリアを積まれたのですか。

いえ、医事課に7年在籍した後、当時の運営母体が所持していた2病院の職員約1200名を統括する本部に、総務課長として配属されました。診療情報管理士の資格を取得した後でしたので、当初は少し残念に感じましたね。本部では病院だけでなくJA幹部の会議体の取りまとめや資料作成、また病院の規程の制定・改廃、さらにJA厚生連の理事長・専務・常務・室長といった経営トップの方々の秘書業務を担いました。帰宅が深夜0時を回ることも珍しくありませんでしたが、経営の意思決定に直結する業務を担い、頼っていただけるのが醍醐味でした。

「27年間のキャリアを活かしたい」と転職を決意するも…

──順風満帆にキャリアを歩まれている印象ですが、転職の経緯について教えてください。

本部に配属されて6年ほど経ったころ、経営悪化を理由に、2病院とも他法人への譲渡が決まったんです。本部職員はそれぞれの病院に振り分けられ、私も元いた病院の医事課に戻りました。しかし尊敬していた上司が退職したり、新たに登用された管理職の発言力が強くなったりといったことが重なり、意思決定に現場の意見が反映されずもどかしい思いをする場面が増えていって……。より自分の経験やキャリアを活かせる場がないかと、転職を考えるようになりました。ちょうど50歳のときです。

年齢のこともあり、現在の条件を維持できるのか、自分の求めるやりがいがかなう職場は見つかるのかという不安はありましたが、「このまま悶々としているよりは」と決意しました。

入職者インタビュー

──転職活動はどのように進められたのでしょうか。

退職届を出し辞めるまでの1ヶ月で決めなければという焦りから、自力で探しました。いわゆる求人メディアを使って、求人票や採用HPを見て応募していましたね。なかなか思うように活動が進まなかったのですが、最終的に関東エリアを中心に介護老人保健施設(老健)を大規模展開している法人の統括本部に入職を決めました。

ただ、いざ入職すると、医療と介護の診療報酬が想像以上に違っていて…自分のこれまでの経験が活かせないこと、また事前に聞いていた勤務条件とのギャップも感じ、悩んだ末に5ヶ月で退職しました。初めての転職だったことや短期で決めなければという焦りもあり、条件のすり合わせが思った以上にできていなかったことは反省点ですね。そして再び転職活動を始めたとき、エムスリーキャリアがやっている事務職専門の転職支援サービスを見つけ登録してみたんです。

自力では出会えない求人に出会えた

──ご自身で求人を探すのと、紹介会社を利用するのとではどのような違いがありましたか。

“スピード感”と“情報量”の2点でしょうか。自己応募のときはお返事をいただくまでに2~3週間はかかってしまいました。エムスリーキャリアは履歴書を送った翌日に返信をくださり、求人が自分の希望に合わないとわかるとすぐ別の病院を紹介してくれました。面接などの調整内容や進捗もきめこまかく共有いただき、とにかく対応が早いなという印象がありましたね。

また、情報の密度に驚きました。登録してすぐ、コンサルタントの方が8件ほど求人をピックアップし、1件1件の法人についてどんな病院なのか、定量・定性の両面から教えてもらいました。量・質ともに自己応募では得られなかった情報だなと感じます。
さらに面接時には、事前にアピールすべき点や注意点などのアドバイス、事後には病院側の感触をすぐ共有してくれるなど親身にサポートいただいて……。きっと自力での活動だったらいまの職場には巡り会えていなかったでしょう。「もっと早く利用すればよかった」というのが正直なところです。

──複数の求人を検討されたとのことですが、美原記念病院への入職の決め手は何だったのでしょうか。

自分の経験・キャリアが活かせそうと感じたことが大きいです。美原記念病院は様々な施設基準を取得していますし、DPC対象病院でもあるので、私の施設基準関連の業務経験や、診療情報管理士の資格を活かして貢献できるのでは、と。前回の転職先では介護保険のレセプトを担当したのですが医療とは全く勝手が違いました。新たな領域を学べたことは結果的にはプラスと捉えていますが、やはりこれまでの27年間の経験値を活かせるキャリアを見つけたい、という軸で今回の転職は臨みました。

入職者インタビュー

また、当院が189床とコンパクトな規模ながら、様々なチャレンジをしている点も魅力でした。以前いた病院は急性期病棟がメインでしたが、当院では急性期はもちろん、回復期リハビリテーション病棟、地域包括ケア病棟、障害者病棟、療養病棟など1つの病院の中に多くの機能を兼ね備えています。300~500床規模の病院に匹敵するくらい様々な施設基準を取得しており、「こんなすばらしい環境でさらに成長できたら」と感じました。

経験を活かし経営の意思決定に関わるやりがい

──課長として入職されてから10ヶ月が経ちますが、実際に働いてみた印象はいかがですか。

入職直後から、病院の経営を考える上で必要なデータを洗い出し、経営陣が的確に判断できるようにまとめています。自分の作ったデータ資料が経営会議や理事会で経営上の意思決定に用いられたり、「以前いた病院ではどうだった?」とこれまでの経験を求められたりすると、強みを活かせていると実感しますね。

また、大規模な組織はどうしても縦割りになりがちですが、当院はコンパクトな組織だからこそ横の連携が非常に強く、部署を越えてわからないことやアイデアを相談し合える雰囲気があります。ゆくゆくは、こうした連携を病院の外に広げることにもチャレンジしてみたいです。

──最後に、キャリアや仕事に悩んでいる読者にアドバイスをお願いします。

私は、いまの職場に転職できてよかったと心から感じています。年齢を理由に諦めず、今の環境でやりがいを感じられなければ思い切って飛び出してみるといいでしょう。一度転職に失敗した身としては、自分の経験を活かしさらに学べる環境が見つかるまで、妥協せず取り組むことをおすすめします。また、私の場合は信頼できる紹介会社に出会ったおかげで、2回目の転職活動はストレスなく進めることができました。いかに自分に合った方法で転職するか、も重要だと思いますね。


【担当コンサルタントからのコメント】

今回の転職では、総務・医事をバランスよく経験されてきた中村様ならではの幅広い視点や誠実なお人柄が高く評価されました。加えて、施設基準申請のご経験や、診療情報管理士の資格などが医療機関様のニーズにマッチしていたのもポイントです。一方で、前回転職時の職歴の短さがネックになる可能性があったため、医療機関様には選考が進む前に予め事情をご説明し、面接時に中村様ご自身からもしっかり伝えていただきました。最終的に、条件面含め双方ご納得のいく形で入職となり大変嬉しいです。中村様のますますのご活躍をお祈りしております。

クリニック事務長からグループ本部の採用担当者に転身した背景とは ──桐和会グループ 菅沼匠人材開発室課長

医療の“その先”見据え、大学病院から民間病院へ ─桐和会グループ 東京さくら病院 久保慎一朗医事課長

ビジョンを伝え、”ビジネス感覚”をもって医療に貢献する ─東京桜十字 予防医療・クリニック事業部長 岬 昇平氏

「もう一度、事務長をしたい―」。苦しんだ転職活動の先に得たものは? ──栄聖仁会病院事務長 石田仁氏

50歳で初転職 失敗を乗り越えた逆転キャリア ──美原記念病院 中村浩一医事課長

シェアする

PageTop